人間は逃げちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でも努力して皆偉くなるんなら誰も苦労しない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな。教師なんてほとんど馬鹿なんだから、こんなことは教えねェだろう。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴き過ぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな」
赤めだか 作:立川談春 - はて☆なりま (via 4kshike) (via shingoy103) (via yaruo) (via tknns) (via nemoi)
? nekoprotocol ? 3eyes
雑誌 EYESCREAM 2007年2月号 19ページ
sft:
lii:
aoi 6-25 (via junelibeloved)
無印良品の設立当初、田中一光は「簡素が豪華に引け目を感ずることなく、その簡素の中に秘めた知性なり感性なりがむしろ誇りに思える世界、そういった価値体系を拡めることができれば少ない資源で生活を豊かにする事ができる」と無印への思いを語ったという。過度な装飾に対する価値観のパラダイムシフトを意図していた。
深澤直人とジャスパーモリスンが行っているSuperNormalも、日常生活にある何でもないものを美しいと再定義し、ナガオカケンメイのD&Departmentも、ディスコン寸前の製品をロングライフデザインとして意味あるものに再定義する。少し前に戻れば、柳宗悦の民芸活動も日用品に美を見出す運動だ。いずれも日常の中に新たな解釈の視座を与えるなどパラダイムシフトを志向している。
”人々に受けいられる美”を作り出すのも、クリエーターの役目だが、”人々が受け入れるべき美が何であるか”を明言するのもクリエーターの役目だ。人々の価値観をも左右することを踏まえ、正しい倫理感をもって、クリエイティブを追求していきたい。
イソムラ式 : パラダイムシフト (via beso) (via nemoi) (via umamoon) (via macotoi) (via buglifewave) (via akko2524) (via yoconyan) (via ipodstyle) (via theemitter) (via yu5yam)
先日、新宿西口のビッ○カメラにてPCを購入・・・
その際に、データカードを同時に購入しました。初めて購入するデータカードなので説明を受け、購入して
家に帰り起動・・・・
電波が来ない。玄関まで行けば・・・かろうじて繋がるが・・・
購入した店舗から自転車で15分ほどしか離れていない家なのに
お店では、サクサク繋がっていたのに・・・不振に思い月曜日にイーモバイルに電話・・・込み合っていて繋がらない
火曜日も同様に繋がらない・・・
そして今日やっと連絡が取れ、詳細を説明・・・すると担当の『カワダ』と名乗る女性は・・・
『玄関で繋がるなら、玄関でやってください・・・』と言い放つ!
『玄関で繋がるなら、ウチの端末に問題はないですから』と強気の発言!
私が一度自宅に来て状況を見て貰えないかとお願いしたが・・・
『そんな事に人件費を使うつもりはない』と言い切る始末・・・
仕方が無いので、解約をするしかないかなと思い
一番使用する部屋での使用環境が悪いから解約を申し出ると・・・
『じゃあ違約金48000円払ってください!』
違約金制度ってある意味恐いね・・・。
『契約書にサインしたのですから』と言われてしまえば
大抵の人は、我慢して環境の悪いカードを毎月高い料金で使用しなければ
いけないと思う。
購入したけど繋がらない、でも解約も出来ない・・・
理不尽な解約申し込みではないと思ったが・・・
そこで・・・なぜ?同じ区内でお店では繋がって家で繋がらないのか?
購入した店舗に聞いてみた・・・
すると驚く答えが!
お店の売り場には電波を引き込んでいるからサクサク繋がるらしい・・・
購入時にはそんな事は一言も言っていなかった!
区内で一軒家であれば大丈夫と言いながら店内で繋がる様子を見せられれば
疑いなく購入するでしょ!
『緊急事態』イーモバイルって? - なおちと 【 みんカラ 】 ブログ (via ssbt) (via shimizusaki) (via gkojax) (via fukumatsu) (via tuvuan) (via takaakik)
そこの末娘が漫画家になっててびびった。聖☆おにいさんという漫画なんだけど、意外に人気があるらしい。
僕が始めて中村光ちゃんをみたのは彼女が中学生の頃で、僕らが素潜りであわび・サザエの密猟しまくりの時に、日陰でスケッチブックに絵を描いていた。両親共にヒッピーで、本人は勉強は好きだが高校進学せずに通信に通い、将来漫画家になりたいという。
その話しを聞いたとき、僕はこっそりこれは先行き暗いなあと思ったんだけど全然違いました。10代からバリバリ稼いで売れっ子になってました、ありがとうございました。
しかもその当時、プログラマだった知人(光ちゃんの姉の旦那)は会社を興し、携帯用ゲームを作るとか言ってて、いやー携帯でゲームなんか無理だろ…JK、とか思ってたら見る間に成長して今は千代田区にある田村亮子と同じ高級賃貸に住んでますわ。
そいつも美大を三浪してギブアップしてプログラマの専門学校行って中退して、ゲーム会社に入って免許を取ろうというゲームで当てるも次でこけて辞めて…ぐらいまでは、あー可哀想にとか思ってたんだけど、普通に成功してるし。
僕は保護シートを上手に貼れる繊細な人間か、保護シートの小さな気泡を何と思わないような豪快な人間になりたい。貼れない、気にする、そういう僕。
Twitter / 伊集院光 (via nerazurinerazuri) (via maharada) (via snamn) (via fukumatsu) (via yaruo) (via tnk16)
Twitterで「神保町なう」と呟いたら、神保町の古書店主の方から「当店にもお立ち寄りを」というリプライが。フォロワーが11万人以上もいると、こんなことも起こります。
すがやみつるblog - ぶらすがや?:日本橋・神保町散策 (via kogumarecord) (via nemoi) (via kml) (via hanaana) (via yellowblog)
もしも幸せを拾ったら、くれなくてもいいから見せてくださいね。
Twitter / ruka (via ne3) (via markie) (via flood) (via aun-059) (via dukkha) (via andi-b) (via yellowblog) (via hazki) (via nemoi) (via dannnao) (via suzukichiyo) (via ak47) (via thinkupstudio) (via nemoi)
なんでもありだが、なんでもよしではない。
深呼吸する言葉・きつかわゆきお (via kisato2) (via ak47) (via thinkupstudio) (via nemoi)
オノ・ヨーコから「マリファナ吸って、酒飲んで、女とばっか。そんな事が本物のロックだと思ったら大間違いだ」と説教され、「あんたたちが俺たちに教えて来たことじゃないか」と憤慨
内田裕也 - Wikipedia (via gesign81) (via asada-santohei) (via tuvuan) (via takaakik)
「この文章をコピーしたら死んでしまうと
思ってコピーしろ、ピース!」
Tumblr (via jinakanishi) (via suyhnc) (via nemoi) (via thinkupstudio) (via nemoi)
エンゼル
The Place Where We Were
2008, 16mm, 6min.
作者 Director:辻 直之(Naoyuki Tsuji)
共同制作者 Collaborator/音楽:高梨 麻紀子(Makiko Takanashi)
ブスと貧乏人が結婚して出来そこないの子供を産んで
トーキョー・ディズニーランドに行けば、それはもう幸福なんだ。
「自殺よりはSEX」村上龍 (via okonomiyaki) (via jinakanishi)
どんな考え方もあってもいい。間違いってのはない。
どんな考え方も世界にグラデーションを作る為にある。
どんな考え方も世界に濃淡を与え、世界を立体にする。
だから、どんな考え方も世界を描く点描の点だ。
できればムカつかずに生きたい/田口ランディ (via okonomiyaki) (via jinakanishi)
(via kwassakwassa)
情報技術革新の進展は2極化をもたらす基本的な原因になっており、かつて文系の大学卒がやっていたような「そこそこの仕事」がなくなっている。単なる情報処理をやるだけなら、PCの支援が得られる現状では、大学卒の労働者は過大能力であり、「評価」や「判断」の必要な職務をまかせるには過小能力だという状況になっている。こうした状況を反映して、米国では高卒と大学卒の賃金差が縮小し、大学卒と大学院卒の賃金差が拡大する傾向がはっきりと出てきているという。
こうした環境変化に伴って、従来型の日本的人材養成システムは、もはや時代遅れなものになっている可能性が高い。すなわち、企業は地頭(じあたま)主義で、大学には選抜機能しか期待しない。それゆえ、大学の役割は入試だけで基本的に終わり、在学中、学生はほとんど勉強しない。そして企業に入ってから社内で鍛える、ということでは、今後要求されるような人的資本としての生産性の高さは達成されないと懸念せざるを得ない。
夜に考えることは、いつもそのときはとても正しくて、僕の言うとおり、疑う余地もないくらいなのに……、明日からはこうしよう、こう修正していこうと思うのに……、結局は、朝起きて、顔を洗って、コーヒーを飲んで、誰かと話をして、昨日までの僕と、明日からの僕をちょっと比較して考えてしまうと、夜に考えたことが、子供じみた夢だと感じてしまう。
sft:
(via papertissue)
情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。
何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。
だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。
エリック・ホッファー「魂の錬金術」 (via jinon) (via chica) (via ninjatottori) (via miyavi) (via konishiroku)
2008-04-01 (via gkojay) (via jinakanishi) (via kml) (via realtime24) (via ricochet-) (via fusutafu) (via nemoi)
補償金問題に限らず、私が日本における著作権の議論に関して何となく腰が座らない思いがする理由は、突き詰めれば将来のアーティストのビジネスモデルが見えない、あるいはコンセンサスが取れていないというところにある。ビジネスモデルというと大層な話のように聞こえるが、ようするに、将来の平均的アーティストとはどのようなものなのか、どういう風に生活しているのか、どうやって稼いでいるのか、というイメージがはっきりしないということだ。
私自身は、将来のアーティスト像とは、ケリー氏が説くような、あるいはエベル氏が体現するような、数百人から1000人程度のファンを抱えた独立フリーランスの(別に組織に属していても良いのだが)「マイクロセレブ」のようなものと想定している。よって、そうした人々が生きやすいような社会や制度に変えていく(あるいは彼らを支援するための教育や技術的なインフラを整える)というのが肝要だと思うし、そのための支援は惜しんではならないと思う。
(中略)
制度は手段であって目的ではない。だから、制度について細かいところを詰める前に、その制度によって何を実現したいのかを入念に考える必要があると私は思うのだ。そのためにも、私は権利者や代理人ではなく、アーティストたち本人が、自分が今後どのような存在として生きていきたいのか、もっと語って欲しいと考えている。
アーティストのビジネスモデル - SourceForge.JP Magazine (via syoichi) (via yaruo) (via otsune)
巻末には、著者と勝間和代女史との対談「つぶやく力」も収録されている。ここで印象的だったのは、お二方ともTwitterの可能性は認めつつも、非常に冷静に捉えていること。ネット発で売れる人の多くが、ネットだけにとどまらず、当人の能力が高かったり面白かったりしているから評価されている、という当たり前のことを確認しているし、日本での「キャズム超え」にはケータイユーザーの存在と、「IT素人による意外な使われ方」が必要としている、というのは頷ける話だ。
『Twitter社会論』を読んだ。-Parsleyの「添え物は添え物らしく」 (via kogure) (via yaruo) (via gkojax) (via otsune)
Royalty free stock photography search engine / Cyclo.ps / One eye. One source. Full view.
mnky:
Cyclo.psで検索すると、「Flickr」「Shutterstock」「BigStockPhoto」「Fotolia」「stock.xchng」「Cutcaster」「Photos.com」「stockvault」の8つのサイトにある、膨大なストックフォトの中から検索結果を表示してくれます。
五十六世紀人たちのしゃべる言葉は、長い場合は猛烈にはやかった。――まるで昆虫の翅音のようにしかきこえない。一つ一つの単語をゆっくりきかせてもらうと、その中には二十一世紀の言葉が、猛烈に簡略化され変形されて、かすかな痕跡をのこしていることがわかるが、とてもききとれたものではない。その上、彼らの言語系の中には、数式や数字の概念が、たくさんとりいれられていて、とてもついていけたものではなかった。――日常の会話は、まったく静粛で、言葉すくなかった。というよりは、大脳前頭葉が二十一世紀人にくらべて極度に発達した彼らは、ほんの短い、間投詞のような言葉を投げかけあうだけで、ほとんどの意味が通じてしまうらしかった。しかし、長い議論になると、鳥のさえずりのような、せせらぎのようなせわしない声があたりにみちた。――彼が発見しておどろいたのは、五十六世紀人たちは、会話が熱をおびてくると、しばしば二人ないしそれ以上の人たちが、同時にしゃべりまくるということだった。最初はそれが受け答えになっているのかと思ったが、そうではないらしく、めいめいの人間は、相手のいっていることなどきかず、猛烈なスピードで自分の考えをしゃべりつづけ、相手のしゃべりつづけている話のうち、ほんの一つ二つの単語なりフレーズなりで、なにかこちらが展開している思考にヒントとなるようなものがあれば、それが相手方の展開している思考系列のなかで、どういう順序、または意味で組みこまれているかということとは関係なく、それをこちらの思考の流れにとりいれて、また新たな方向へ、自分の考えを展開していくらしかった。――つまり、彼らの議論とは、めいめいが相互に情報発信源になってのべつ発振し、何かめいめいにとってそのなかで、瞬間的に共鳴する情報だけがコミュニケートすればいいのであって、相手の考えを全面的[#「全面的」に傍点]に理解する必要はなかったのだ。にもかかわらず、そのやり方は、相互に共鳴し、コミュニケートする情報が、ある確率[#「確率」に傍点]でもって整理されていくことによって、りっぱに――むしろいちいち言葉の厳密さをたしかめて、煉瓦《れんが》のように論理を構築していく古いやり方より、よっぽど効率よく――相互の思考を進展させ、同時にめいめいがちがった側面において、新しい問題に達することによって、ひろがりを深めていくのだった。
「ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作って行かなくてはならない。忙しいのだ。
何と言っても、その基準に、世間一般の基準を持ち込むようなちゃちなことを、
ぼくは、決してしたくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。
すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。
そこからやがて生まれて行くたくさんのばつを、
ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。」
ぼくは勉強ができない / 山田 詠美 (via okonomiyaki) (via nemoi) (via mnky)
「どんなことでも、自分、そして誰かにとってのプラスにしていけたらいいと思う。」
(via okonomiyaki) (via nemoi)
僕は「デザインなんて大したものではないし、よくわからない」というようなことをどんどん言っていくことで、デザインをプライドの高い人たちだけのたしなみといったイメージから解放したいのです。
「デザインがわからない」と言うことが恥ずかしいと思われていて、実際誰も言わないから、デザインをわかるということが知的なことで、すごいことであるように思われている気がします。
その結果、「わけがわからないけど、きっとすごいんだろう」と法外な評価を受けるようなデザインがでてきたり、
「これはデザインではない」といった不自由な決めつけが生まれてしまうのではないでしょうか。
僕は今まで環境や選挙やデザインといった、なんとなく立派なイメージのあるものから逃げ出して、「よくわかんない」とか「興味ない」といった反対のことを言うことで、逆に関わっていきたいな、と今では思っているんです。
箭内道彦「サラリーマン合気道」 (via okonomiyaki) (via nemoi)










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[drawr] はまなす](http://21.media.tumblr.com/tumblr_ksoq7qN54u1qz9izmo1_500.png)
